キャリア・コンサルティング協議会作成のDVD「実践キャリア・コンサルティング」に出演した。
実は私はまだ見てないので、どのような話をしているのかは覚えていなけれども、クライアント役として
国分康孝先生のカウンセリングを受けている。
撮影は6月末にあった。簡単な概略だけを聞いて、当日、指定時間にいく。
その前は別件で打ち合わせをしていて、ぎりぎりに時間に到着した。そしたらプロのカメラマンなど数名が詰め込んでいて、会場はライトアップしてあり、椅子は固定で・・という目が点になる光景があった。
「あれ?本格的な撮影だったのだ。」確かに、概略を教えてくれた担当の人は「照明が強いので暑いです。」と言われていた。「もしかしたら?」とも思っていたけれども、本当にその「もしかしたら」だった。
その当日は2件の収録だった。もう一件は学生がするケースだったので、年の甲?で私が先にすることになった。ところで私は誰になる?とあわてて名前を決めて開始した。
ハローワークがらみの相談なのでその役柄を演じる。就職先を探しながら見つからず迷ったクライアント役にした。
本当に困った表情で相談に行ったかな?と後で気になった。自分が語る内容を間違わないように記憶通り話そうと思ったのだが、国分先生が文章を考えていないところの質問をされるので、必死で考えないといけなかった。国分先生は事前に私のケースを聞かれなかったので、私が記載したストーリをご存知なかった。だから、私の語る言葉の中での課題だと思うところへ遠慮なく突入された質問となるわけある。
鋭かったと思う。私は病院組織に勤務していたが、薬剤師という専門職で努めていた。組織の一員でありながら、個の責任をかなり問われる立場で、それをいつも厳しく言われる職場だった。個人責任を常に意識しないと務まらなかった。
今、現在は自分が経営する会社。組織は大きくはないが、私が意思決定し、行動し、指示をする立場である。私が欠けている観点を鋭く見つけていくカウンセリングになった。
途中で動揺もしたかと思う。
クライアントはロールであっても、演じるだけでは埋まらない隙間がある。そこに自分が見える。
テレビや映画ではかなり詳しく台本が決まっている。その隙間から出てくるのが演じ方からあふれる人間味なのだろうか。
ちょうど東京の知り合いのカウンセラーがプロ劇団に入って先日舞台に立った。「山中直治物語」
欅のホールでの出演だった。急に連絡が来て驚いた。予定があったので観には行けなかったけれども
大成功だったようだ。
世の中の動きはめまぐるしい。