昨日淀屋橋にいると、マクドナルドが「あと30分だけのサービスです。アイスコーヒーもホットコーヒーも一杯サービスです。」「持ち帰りもいいですよ。」と呼びかけをした。 あいにく時間がなく立ち寄ることができなかったが、耳だけはダンボになり、しっかり聞いた。最初の呼びかけでは今回のお客を確保するための行動かと思った。次の呼びかけで、今回だけでなくマクドナルドというお店に対する行動だと思った。同じ費用をかけてサービスをするなら、徹底して行う行動は素晴らしいと思った。
私自身、薬剤師だけをしていた頃にはサービスについては考えたことはなかった。薬剤師だけをしていたころというのは大学卒業後で病院勤務中である。薬剤師業務を覚えるのに必死だったこともあるけれど、特にその時代の医療業界のサービスの特異性によるところもあるだろう。
ビジネスを自分ではじめて、いつからかサービスが気になりだした。外で食事をしていても、接客態度やメニュー作り、料理の出てくる時間のころ合いが気になる。外国のようにお水が有料の文化圏では眼にするチャンスはないのではあるが、お水は、1回目をいつ出してくるのか、お水の追加を入れるかどうかとそのタイミングは興味深い。 不満足で出ようとした店でも、思いがけず発せられた接客側の一言やふるまいを見ると、今までとは違って満足度が急激に上がったりする。人の満足とは不思議なものだ。
このときの満足の要素を分解すると、振る舞いと言語的コミニケーションによる。料理が自分にとって、全く味が合わない店の場合は満足になりうる条件をまずは満たしていない。マズローの欲求五段階説なのかもしれない。
かわいい娘が「また来てくださいね。」とニコッとして、男性の人が急に「また、この店にはくるね。この店は感じいいね。」というのも横で聞いたことがある。
料理が出るのが遅くて、慌てている状態で必死で働きながら「急に店が込み合ってしまって、対応できずに遅くなってごめんなさいね。お腹すいたでしょう。」と運ばれてきて、おいしくいただいたこともある
やはり心地よい思いをしてくれる人を生み出すことは重要だと思う。サービスを受ける側もサービスを提供する側にも言える。また、対価が介入しないときにこそ意味があるときもある。
人と接する瞬間、瞬間。相手が心地よいと自分も心地よいものである。そのための労力は惜しまない努力はしようと自分への振り返りになる良い機会だったと思う。